カルマについて(その2)

インタビュアー(以下、イ):
私もそうですが、そんなに自分のことが好きかと言われたら、そんなに好きではない・・・。

ミズキ(以下、ミ):
大好きっていうのも嘘なんですよ。それも嘘なんだけど、自分がこの状態で許されているなっていう安心感ですよね。キレイになるためとか、素敵な恋愛をするためとか、そういう日々の努力はまた別として、とにかくリラックスした状態でくつろいでいる自分、この状態でいいと認めてあげられるかどうか、をいいます。

イ:実際、どうやって自分を認めてあげればいいのかがわからないですね。

ミ:
まず、自分がいて、ご両親、兄弟、それに恋人、友達とかもいるでしょ?自分の人生に深く関わっている人たちがいるじゃないですか。親子関係、兄弟関係、親友といえる関係、恋人関係で出てくる感情ですよ。

怒り、悔しさ、みじめに感じてしまうこと、我慢ばっかりさせられてずっと頭を押さえて、うなだれて受け入れるしかないとあきらめているといった感覚・・・それを自分の中で見つめていくしかないんです。人に教えてもらったからって、急には自分を大好きになれない。それはわかるけれど、自分の中で何に対して苦しみを感じているか、とかね。

たとえば、親は良い子に育てるべく、最大の愛情を込めて“しつけ”という名の教育をしますよね。でも子どもが、自由奔放にアメリカで永住するんだ!くらいの勢いで生まれてきた魂だったら、堅いご両親に育てられると、ぎゅうぎゅうにしんどい思いをしますね。ご両親に世間に恥ずかしくないように育てるという教育方針があったとしたら、もっとちゃんとしなさい、人様に笑われないように生きなさい。もしくは規則正しく生きなさい、時間は守りなさい。学校はズル休みしちゃいけません…など、校則みたいなことを、どんどん言いますよね。その魂自体がそこからはみ出したくて生まれてきたのなら、これらはただの呪いの言葉でしかないんですよね。

(その3へ続く)