占い師となるまで

インタビュアー(以下、イ):まず、お名前の由来は?

杏樹(以下、杏):
10年ほど前にこちらでお世話になった時、オーナーが付けてくださいました。
その時はカタカナで「アンジュ」でした。 3年ほど前に、またこちらでご縁をいただいて、漢字のほうが自分のイメージに合うなということで、今の「杏樹」に改名しました。
占いでも私は“樹”の人間なので、この漢字を入れたいというのもあって。

イ:もともとこういった精神世界にご興味がおありでしたか。

杏:
うちの母や妹が、ものすごく見えるタイプだったんですよ。
私はそうではなかったんですけれど、小さいころからそういう環境にあったので、見えるのが普通というか。
なので、興味はあったんですね、占いなんかにもよく行ったりとか。

イ:この世界に入られたきっかけは?

杏:
20歳ごろにさかのぼります。当時、私は大学に通いながらアナウンサーの養成所にも通っていました。
ある日、女主人が占いをされているという、北野のとある骨董品屋さんへ骨董を見に行き、アナウンサーになれるかを占ってもらったんです。 そこで「なれますよ、貴方、アナウンサーに。でも、貴方、占い師にもなれますよ、私の弟子になりませんか?」と言われて。 その時はもちろん、断って帰ったんですが。 その後、その占いどおりにアナウンサーになり、さらに今では占い師にもなれました。

イ:では、こちらのオーナーとの出会いは?

杏:
両親を相次いで亡くしたりですとか、いろんな悲しい出来事が重なったころ、オーナーに出会いました。
占いだけでなく、オーナーによる運をも変えることができるという『お焚き上げ』に、非常に感銘を受けたんです。 それが平成12年ごろで、そのままオーナーの元で占い師の仕事を始めたのですが、アナウンサー業との両立ができず、中途半端に辞めてしまいました。 その後、年齢的にも時間的にも余裕ができてきたので、3年前から再びこちらでお世話になることとなりました。